小学生のころからアメリカのヒット曲が大好きだったが、
特に1964年初頭のビートルズに触発された音楽シーンには気が気でなかった。
65年の秋くらいから業界紙のビルボードのHOT100にも気を止めるようになっていた。
年末にヒットしたバーズのTURN!TURN!TURN!や
サイモン&ガーファンクルのSOUND OF SILENCE を聴くに及んで、
私の頭の中ではこの繰り出してくる素晴らしき音楽を逃すまいということになった。
当時の日本のヒットチャートとは無縁の音楽達を何とかするには、
自分で作るしかないと思ったのである。
早速英単語記憶のカードに曲名を書き込み、
毎週それを並べ替えて順位付けして表にするという作業であった。
勉強もクラブ活動も続けながらの作業はどれだけのものだったかは定かではない。
ここに至って再度じっくり眺め検証してみたい。

なお、別の拙ブログでも随想誌にて音楽のことを綴っている。
ご興味のある方は是非訪れていただきたい。

2012年2月26日日曜日

音楽簿1966年2月26日号




































記念すべき第1号につづく待望のHITTABLE第2号である。

何となれば、2回目から曲の興亡盛衰がみられることになるので、変化の楽しみである。
当時ラジオ番組や音楽雑誌ではトップ20程度の紹介が多かったが、
ビルボードはとにかく100位まであることがわかっていた。
それだけ熾烈な競争の場だったことだろう。

私は50位までしか整理できないと観念したが、20位よりはダントツ。
勇躍の№1「私の愛」はbillboardでは2月5日からの№1だから3週間遅れのトップである。
しかしペトゥラ・クラークも日本では人気なかったなぁ。
とびきりの「ダウンタウン」ほどではない曲だが。

赤字での表記は、赤丸急上昇に倣ったもの。
急上昇グループRolling Stonesの「涙枯れても」は「イエスタディ」の対抗曲ではちょっと弱い。
初登場№1というのもある。14位のウイルマ・ゴイクの曲は原語記名のこだわりで書いたため、
邦題はなんていう曲だったか?メロディも・・?ようやく思い出した。
イントロからすぐサビのわかりやすいウキウキする曲だった。
この頃は英語圏だけでなくイタリアのカンツォーネやフランスのシャンソンも活きがよかった。