小学生のころからアメリカのヒット曲が大好きだったが、
特に1964年初頭のビートルズに触発された音楽シーンには気が気でなかった。
65年の秋くらいから業界紙のビルボードのHOT100にも気を止めるようになっていた。
年末にヒットしたバーズのTURN!TURN!TURN!や
サイモン&ガーファンクルのSOUND OF SILENCE を聴くに及んで、
私の頭の中ではこの繰り出してくる素晴らしき音楽を逃すまいということになった。
当時の日本のヒットチャートとは無縁の音楽達を何とかするには、
自分で作るしかないと思ったのである。
早速英単語記憶のカードに曲名を書き込み、
毎週それを並べ替えて順位付けして表にするという作業であった。
勉強もクラブ活動も続けながらの作業はどれだけのものだったかは定かではない。
ここに至って再度じっくり眺め検証してみたい。

なお、別の拙ブログでも随想誌にて音楽のことを綴っている。
ご興味のある方は是非訪れていただきたい。

2012年4月2日月曜日

音楽簿1966年4月2日号



































「夢のカリフォルニア」が堂々3週連続1位。全米では3月12日の4位止まりだった。こちらのほうが正当な評価ではないかと自負。2位に「早く家に帰りたい」。同じ4月2日全米5位。地味な曲だけに1位が取れるのか?3位、4位も上昇中。どこまで行くでしょう?そして急上昇の7位「19回目の神経衰弱」は同日全米3週連続2位で足踏み。12位「ソウル・・」は同日全米3位赤丸急上昇中。いずれの動向も気を揉むところ。ところで14位の上昇曲はフランス・ギャルの「Nou Ne Sommes Pas Des Anges」。わかりやすい邦題「天使のためいき」に目も向けず、原語に固執。このフランス・ギャルは私にとってはお姉さんだが、「夢見るシャンソン人形」の大ヒットでデビューしたフランス国民的アイドル歌手。その後の経緯は全く感知外だった。しかし私にとっては、60年代のポップスのアーティストは同窓の友である。昨日から検索していると、80年代に復活、夫君であるフランスのジョンレノンと言われた作曲家の後押しで自国では大ブレークしたことも。その後、彼を失い愛娘も失い、97年に引退したそうである。昨今は年に1回はテレビに出ているおばさんらしい。この項、随想誌に続く。